「浄土真宗の旧跡紹介」

地名「富山県」

「三本柿」

親鸞聖人が承元の法難(1207年)で越後に向かわれる道中、三日市(みっかいち)の辻源左衛門時国(祐円。辻の道場を開き、現在の辻徳法寺に至る)の家に宿泊された。この時、経田屋太兵衛宅に立ち寄られ、土地の名物・串柿を召し上がった。 (本文を読む)

「明光寺の屏風岩」

親鸞聖人は承元の法難(1207年)によって越後国へ赴く途中、朝日町宮崎(みやざき)の九里藤太夫に一夜の宿を請われた。ところが藤太夫は神官 だったため、「僧侶を宿泊させることはできない」と言われ、やむなく聖人は宮崎の西隣の和倉という所で大石にもたれて一夜を明かされた。 (本文を読む)

「槍跡のある御名号」

一向一揆の勢いが吉崎御坊周辺にまで及んできた時、蓮如上人は、大切なお聖教等を守るために、弟子に持たせて各地に避難させられた。 (本文を読む)

「馬乞の御名号」

吉崎御坊が建立された当時、越前の守護大名・朝倉孝景(敏景)は蓮如上人に帰依し、しばしば吉崎に参詣していた。その愛馬はいつも、道場へ通じる特別の渡り廊下近くの厩に繋ぎ止められることになっていた。
ある日、蓮如上人が説法のために、この渡り廊下を通られた際、馬がしきりに頭を下げていた。 (本文を読む)

「堤町の蓮如上人腰掛石」

文明6年(1474)、蓮如上人は越中国新川郡にしばらく滞在し、陀羅尼寺村(現、上栄〈かみさかえ〉)に初めて動清水精舎を建立された。その 折、石に腰掛け休息されたのが、「腰掛石」である。動清水精舎は後に、堤町通り(つつみちょうどおり)の勝興寺富山支坊となっている。 (本文を読む)

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