江戸時代のこと。上金剛寺(かみごんごうじ)に、信仰心厚い甚七という者がいた。 宝暦年間(1751〜1764)、上宮(かみみや)の満法寺本堂の再建工事が、進んでいた。 しかしその年、凶作となり、中止されるという話を聞いた甚七は、驚く。 (本文を読む)
常願寺川を立山に向かって上っていくと、栃津(とちづ)という場所がある。 ここの丘の中腹に、「親鸞聖人分骨所」と伝えられる堂が建っている。 土地の人は、「栃津のお墓所」と呼んでいるそうだ。 (本文を読む)