「馬乞の御名号」
吉崎御坊が建立された当時、越前の守護大名・朝倉孝景(敏景)は蓮如上人に帰依し、しばしば吉崎に参詣していた。その愛馬はいつも、道場へ通じる特別の渡り廊下近くの厩に繋ぎ止められることになっていた。
ある日、蓮如上人が説法のために、この渡り廊下を通られた際、馬がしきりに頭を下げていた。
しばらくして朝倉の家来が巡視に回った時、馬がいなくなってしまい、家臣総出で捜したが見つからなかった。
蓮如上人のご説法の終わり頃、大勢の聞法者の中から一人の女性が痛切な表情で
「馬でも仏になれましょうか」
とお尋ねした。蓮如上人は静かに、
「阿弥陀仏は十方衆生を救うとお約束なされている。真剣に聴聞しなさい。弥陀の大慈悲によって、必ず救われる」
とお答えになった。女性は感激で泣くばかりだった。
居合わせた人々は、「人間の後生のことさえ尋ねられないのに、馬のことを尋ねられるとは、あの女は気が変になったのだ。かわいそうに」とささやきあっているうちに、女性の姿は見えなくなった。
説法が終わり、蓮如上人が厩の前を通られると、孝景の愛馬がいつの間にか戻っていた。馬は、蓮如上人の衣の裾をくわえて、放そうとしない。
「さきほどの女性は、この馬に違いない」と、蓮如上人は哀れに思われ、紙と筆を持ってこさせて
「南無阿弥陀仏」
の6字の御名号を書き与えられた。
馬は膝を折り、頭を垂れて、涙を流して喜んだ。
この「馬乞の御名号」は、孝景が下附していただき、その後、家臣の長崎五郎左衛門が出家して蓮如上人の弟子となった時、頂くこととなった。この弟子は慶円といい、父もまた蓮如上人の弟子で、慶聞といった。
『追録 宇奈月町史 文化編』(宇奈月町浦山・願蓮寺の長崎慶秀住職の話)より
富山県下新川郡宇奈月町