「槍跡のある御名号」

一向一揆の勢いが吉崎御坊周辺にまで及んできた時、蓮如上人は、大切なお聖教等を守るために、弟子に持たせて各地に避難させられた。
慶円は、「馬乞の御名号」をお預かりし、大原の辺り(現在の宇奈月温泉駅周辺)までやってきた。ここで見付けた洞穴に一時的に御名号を隠し、ある寺に身を寄せて越前の一揆が治まるのをじっと待っていた。

大原には、内山村(うちやまむら)の畑がたくさんあり、村人が毎日のように出掛けていた。ある日、2、3人の男が山道を歩いていると、日も当たらない山の ほうで何やら光っている。男たちは気味悪がって近づかず、それ以来、山に化け物が住み着いているという噂が広がって、みな畑へも行かなくなってしまった。
そこで村の猟師が2人、光の正体を突き止めに行くことになった。
近づいていくと、洞穴の中から光っていた。中の様子を窺うが、物音一つ聞こえない。そこでエイヤッと竹槍を光めがけて突き刺した。手応えがあったが、ど うやら生き物ではないらしい。2人が恐る恐る洞穴に入ってみると、そこには槍に貫かれた御名号があった。
これも何かの因縁だろうと、大切に奉持して村に帰った。

慶円は、一揆が治まったという噂を聞いて、越前に戻ることにした。そこで御名号を取りに洞穴まで来たが、なくなっている。慌てて周辺を捜してみるも、見当 たらない。困った慶円がふと見下ろすと、内山村が見えた。そこで一軒一軒尋ねてみると、猟師の家にあるのでは、とのこと。
大喜びで慶円は、2人の猟師の所に行き、返してほしいと頼んだ。ところが2人とも、「そんなに大切な物なら、なおさら返すわけにはいかない」と、頑として聞かない。
仕方なく慶円は、京都の蓮如上人にご相談した。上人は、
「御名号が2人の手に渡ったのも何かの縁。2人には新たに御名号を書き与えるから、それと引き替えに返してもらえばよいだろう」
と、2枚の御名号を書いてくださった。それと引き替えなら、と、2人はやっと返してくれた。

その後、慶円は、蓮如上人のお言葉に従い、内山に寺を建てた。この寺は蓮如上人の願いにより建てられたため、「願蓮寺」と名づけられたといわれる。
願蓮寺は今は浦山(うらやま)にあり、槍で突いた跡のある御名号が残されている。そして猟師の家には、今でもその御名号が仏壇にかけられているという。

『追録 宇奈月町史 文化編』(願蓮寺の長崎慶秀住職の話)より
富山県下新川郡宇奈月町