「明光寺の屏風岩」
親鸞聖人は承元の法難(1207年)によって越後国へ赴く途中、朝日町宮崎(みやざき)の九里藤太夫に一夜の宿を請われた。ところが藤太夫は神官 だったため、「僧侶を宿泊させることはできない」と言われ、やむなく聖人は宮崎の西隣の和倉という所で大石にもたれて一夜を明かされた。
宮崎の人・教祐はこれを聞いて聖人を和倉に訪ね、弟子となり、一庵を作ったのが明光寺の起源であると伝えられている。
現在地に移転したのは、永正年間(1504〜1521)、第10代祐念の時であり、この時に寺号を受けている。
境内に、親鸞聖人の作と伝えられる詠歌を刻んだ屏風岩がある。
「越路なる宮崎浜の岩かげに宿りて弥陀の思こそしれ」
『宮崎村の歴史と生活』より
富山県下新川郡朝日町