「長井源蔵の出会い」
承元の法難(1207年)によって、越後に流刑となった親鸞聖人と2人の弟子が、配流地への道中、黒部川にさしかかった。ところがちょうど、川は雪解け水であふれて渡れず、川止めとなってしまった。仕方なく聖人は、荻生(おぎゅう)の長井源蔵宅に宿を求めた。
この長井源蔵は、斎藤実盛の孫と伝えられる。実盛は、平氏にしたがって加賀で木曽義仲と対戦し、70余歳の高齢にもかかわらず白髪を染めて奮戦したこと で有名。武蔵国長井荘に住したため、長井斎藤別当と称していた。実盛の長男・斎藤五は、父の死を悼み、戦乱の世をはかなんで出家し、仏門に入っていた。そ の子供が、源蔵である。
源蔵は、親鸞聖人の願いを断ってしまった。やむなく聖人は、軒下で一夜を過ごそうと念仏を称えていたが、それを見た源蔵夫婦は冷たい仕打ちを懺悔し、家の中へと案内した。
実は源蔵も後生の悩みを抱えていた。ここで親鸞聖人と出会えたのも何かのご縁、と、3日間、仏法を聞き求めた。
黒部川の水も引き、いよいよ出発となった時、親鸞聖人は、別れを惜しむ源蔵に「帰命尽十方無礙光如来」の御名号を、妻には阿弥陀仏の第35願(女人成仏 の願)を表す35筋の光明を入れた御名号を書き与えられた。さらに源蔵は、聖人から「宗真房」の法名を賜り、沓掛(くつかけ)村字千日に一宇を建立した。
ところが文禄5年(1596)、水難にかかり、金屋(かなや)新村に移った。これが、現在の浄永寺である。
『黒部市史』より
富山県黒部市