「盆踊り歌」
『入善町史』に、「歓喜嘆」という歌が紹介されている。
この「述」に、「願うべきは後生の一大事、たのみ奉るべきは弥陀の本願なり」とあり、浄土真宗の信心を七・七調で歌ったものらしい。真宗王国・越中富山では、幕末の民衆娯楽隆盛の機運にのって、盆踊り歌の一つとして広まったことが書かれている。
「二十八日口説き(歓喜嘆)」
ここに同行のお茶飲み話 聞けば誠にご縁になるぞ
二十八日お日柄なれば 今日はゆるりとお茶飲むまいか
余り渡世の忙しきままに 売るの買うので月日を暮らし
済むの済まぬと孫子のことに 腹を立てたり笑いもしたり
罪業ばかりで月日を暮らし 大慈大悲のご恩の程も
懈怠ばかりで年月送る 今日も空しく過ぎゆくことは
電光稲妻矢を射る如く 今日のご恩があるまいならば
今に無常の日暮れとなりて 耳も聞こえず眼力もきかず
足手まといの妻子や孫や 金銀財宝家蔵田畑
山も林も打ち捨ておいて 持ちもならねば持たしもならぬ
死出の山路や三途の大河 阿呆羅刹に追い立てられて
一人泣く泣く閻魔の庭に 業の秤や浄玻瑠鏡
向かうその時ゃ言い訳立たず 右も左も剣の山に
追いつ追われつ幾千万郷 焼かれ焦がされ身を切り裂かれ
こぼす涙に天をば仰ぎ 大地叩いて七転八倒
泣けど叫べどその甲斐ないと 聞くも恐ろし地獄の苦難
遁がれ難きは我が身の上ぞ(他の歌へ移る)
このあと、「高祖聖人御苦労の事」という親鸞聖人一代記へつながっていたが、現在この部分は、作り替えられて「見真大師口説き」となっている。
「歓喜嘆」では……
釈迦の往来八千遍と 弥陀の本願聞そう為に
かわるがわるに七高祖と 唐や天竺日本までも
渡り玉いし仏の御慈悲 知らぬ我身に知らさん為に
高祖聖人藤原氏へ 誕生まします松若君の
纔か御年九歳の春に 輿や車を乗捨たまい
栄花栄耀の御身の上が 娑婆は暫しと無常を観じ
慈鎮和尚の御弟子と成て 比叡の御山へ登らせ給い
二十年来御修行中に 薬師如来へ千日参り
「見真大師口説き」では……
されば申すもおそれながら 天津児屋根の命の末に
氏は藤原有頼卿の 御嫡男子に松若君と
利巧発明が世にならびなき 輿や車で世をましませば
君に仕えて栄華を極め 雲に近きの御身の上が
早く此の世の無常を悟り 御年九歳の春三月に
玉の御殿を立ち出で給い 粟田口なる青蓮院の
慈鎮和尚のみもとに参り 明日と延さぬこの世の無情
咲いた桜も今宵のうちに 夜半の嵐に吹きおとされる
これを思えば片時も早く 出家得度をして給われと
言われて師匠も理につまされて 夜の中ばに得度をなさる
竹と等しき緑の髪を お剃り給うぞ御いたわしや
綾や錦を脱ぎ捨て給い 墨の衣で御身をやつし
さればこれから仏道修行 音に名高い比叡の山の
峯に登りて菩提を求め
『入善町史』より
富山県下新川郡入善町