【06】大乗院の夢告



磯長の夢告から9年たった、正治2年(1200)、親鸞は比叡山無動寺の大乗院に籠もりきるようになりました。
「おまえの命はあと10年」と宣告されてから、間もなく10年。目前に迫った一大事の後生に懊悩し、ひたすら夢告の文を唱えて解決の道を求めます。
すると、結願の前夜真夜中、如意輪観音が現れて、
「善いかな善いかな、汝が願い、将に満足せんとす。善いかな善いかな、我が願い、亦満足す」
と告げたと伝えられています。
これを「大乗院の夢告」といわれています。

[親鸞聖人正統伝]

同年(28歳)十二月上旬、叡南無動寺の大乗院に閉籠して、密行を修せらる。然ども、何の行法にや、とかく人にも逢たまわず、室内をも見せられず、御給仕は正全坊侍従ばかりなり。正全あまり不審に思い、或夜よもすがら不寝、椙戸に耳をあてて、其様を窺けるに、孤燈かすかにして西南に向い、趺坐し、合掌を額にあてて一心に、我三尊化塵沙界、日域大乗相応地、諦聴諦聴我教令、汝命根応十余歳、命終速入清浄土、善信善信真菩薩の偈文を唱て、悲泣雨涙したまう。其丹誠金鉄をも透徹すべく、御声も哀に悲しかりけり。折ふし、師の僧正より聖光院の坊官、木幡民部を密行の御みまいに登したまう。民部、下山の時、正全門外まで送て云よう、穴賢、僧正へは努々申たまうまじ。此度の密行の事、全く別意にあらず。唯今年は御遷化と思召きわめられたると見えたりと、泣々語る。民部、忙然として其ゆえを問う。さればとよ、是までは深つつみて口外せざれども、今は申ぞかしとて、過ぎにし十九歳、九月、河州磯長御廟にて示現の事とも、又此度密行のありさま、御誦文等まで、委くかたりければ、民部も手を拍、このすえはいかに成ゆく世ならんとぞ歎きける。然ども、僧正へは唯何となく、御返事のみぞ申てやみぬ。別行は三七日にて結願也。其前夜、四更に及ころおい、室内に異光みち、如意輪観自在の像影現し、
 善哉善哉汝願将満足 善哉善哉我願亦満足
と和訓に唱て、忽然として隠れたまう。是由縁によりてこそ、明る歳六角精舎へ百日の懇念を尽されける。

[親鸞聖人正明伝]

同(28歳)冬、睿南無動寺大乗院に閉籠て、密行を修せらる。是も三七日なりしが、結願の前夜、四更に及で、室中に異香薫じ、如意輪観音自在薩■(土偏に垂)現来したまいて、汝所願まさに満足せんとす、我願も亦満足す、とある告を得て、歓喜の涙にむせびたまう。是によて明年正月より六角精舎へ一百日の日参をおもいたちたまえり。