【04】不思議な女性との出会い



親鸞が比叡山で修行に励んでいたころ、麓の赤山明神にて、不思議な女性との出会いがあったと伝えられています。
赤山明神は、正式名称は「赤山禅院」といい、延暦寺の塔頭ではありますが、都を守る“神社”でもあります。神仏習合の様相を見せています。

建久9年(1198)、親鸞26歳のころです。
年始の所用を済ませ、山に帰ろうとする親鸞が、赤山禅院の前で、美しい女性に声をかけられます。
「どうか、山にお連れください」と願う女性に対し、親鸞は、
「それは無理です。あなたもご存じのとおり、このお山は伝教大師が開かれてより、女人禁制の山です。とても、お連れすることはできません」
と断ります。
すると、女性はあきらめるかと思いきや、意外な言葉を口にします。
「伝教大師ほどの方が、『一切衆生 悉有仏性』の経文を読まれたことはなかったのでしょうか」
驚く親鸞に、女性はたたみかけるように、
「親鸞さま。このお山には、鳥や獣のメスはいないのでしょうか。汚れたメスが入ると、山が汚れるといわれるならば、すでに鳥や獣のメスで、この山は汚れています。鳥や獣のメスがいる山へ、なぜ人間のメスだけが、入ってはならないのでしょうか」
仏教では、人間も牛も豚も、犬、猫、虫けらに至るまで、すべての生命は平等だと教えられている。だから動物のメスと人間の女性を差別して、人間の女だけ汚れているとする比叡山は、仏教の精神に反すると、指摘しているのです。

僧侶として、初めて、公然と肉食妻帯に踏み切ったことで、親鸞は有名です。
それには、「女性は穢れているから、登ることは許されない」比叡山に、「鳥獣畜類」の女はたくさんいるじゃないか、という矛盾をついた、この女性の鋭い問いかけに対して、すべての人がありのままで救われる真実の仏法を明らかにする、という意味があったのでしょう。

[親鸞聖人正明伝]

建久九年、範宴初春の祝儀ごとおわりて、京より山へ帰たまうに、おりふし赤山明神へまいり、法施ごころしずかにしておわしますに、神籬の蔭よりあやしげなる女姓、柳裏の五衣にねりぬきの二重なるを打被、唯一人出来れり。其しな気高て、いかさま大内に住けんありさまに見けり。彼女姓いとはしたなく範宴の御傍ちかくまいりて云よう、御僧は何より何地へ行かせたまうと。御供にありける相模侍従、これは京より山へかえるにてさぶらう。女の云く、妾も年来比叡山へ参詣の志ふかくありしが、今日思立てさぶらう。初ての所なれば、案内もいささか知はべらず。一樹のかげ、一河のながれとやらん申こともありときく。今日の御なさけに、いざ連て登たまわりそうらへ、と染染と申けり。範宴も興さめて、女姓なれば其事は知たまわじ。抑、我比叡山は、舎那円頓の峯高そびえ、五障の雲の晴ざる人は登ことを許さず。止観三密の谷深裂て、三従の霞に迷う輩は入ことを得ず。法華経にも、女人は垢穢にして、仏法の器に非と説たまえり。されば山家大師の結界の地と定たまうもことわりなり。浦山しくも登華かなと読し歌をもしろしめされなん。唯是よりかえらるべし、とのたまえば、女性範宴の御衣にすがり、涙の中に申けるは、さてさてちからなき仰をも聞ものかな。伝教ほむの智者なんぞ一切衆生悉有仏性の経文を見たまわざるや。そもそも男女は人畜によるべからず。若この山に鳥獣畜類にいたるまで、女と云ものは棲ざるやらん。円頓の中に女人ばかりを除かれなば、実の円頓にあらざるべし。十界十如の止観も、男子に限とならば、十界皆成は成ずべからず。法華経に女人非器とは説ながら、龍女が成仏は許されたり。胎蔵四曼の中にも、天女を嫌うことなく、三世の仏にも四部の弟子は有ぞかし。さはありながら、結界の峯ならば登べきに、便なし。妾山にのぼらば、知識をたずねて捧とて、持る物あり。今はよしなし。是を師にたてまつるべし、とて袖より白絹に包たる物を出し、是は天日の火を取の玉なり。それ一天四海のうち、日輪より高く尊ものなく、又土石より低く陋ものなし。然に、天日の火ひとり下て、灯炬となることなし。陋土石の玉にうつりてこそ、闇夜を照の財とは成なれ。仏法の高根の水、ただ峯に後のみ湛て、何の徳用あらん。低く陋き谷に降てこそ、万機を潤す功はあむなれ。御僧は末代の智人なるべし。よも此理に迷たまわじ。