【10】六角堂参籠と「女犯の夢告」(その3)

《3》吉水入門のきっかけに

 前々回から書いている、この女犯の夢告に導かれて、親鸞は、吉水の法然上人のもとへ行くきっかけになったとも言われています。
 前回挙げた赤松俊秀『親鸞』・草野顕之『信の念仏者 親鸞』(ともに吉川弘文館)にも少し触れられています。
 次回も、恩師・法然聖人との出会いについて書きたいと思いますが、ドラマチックに描かれているのを見れば見るほど、親鸞にとってその出会いがいかに大きな意味を持つものであったのかが偲ばれます。

〔歎徳文〕(真宗聖教全書)

特に歩みを六角之精舎に運んで、百日之懇念を底す処に、親り告げを五更之孤枕に得て、数行之感涙に咽ぶ間、幸に黒谷聖人吉水之禅室に臻りて、始て弥陀覚王浄土之秘けいに入りたまいしより爾降、三経之冲微、五祖之奥さく、一流之宗旨相伝誤つこと無う、二門之教相稟承由有り。

[最須敬重絵詞]

六角堂へ百日の参詣をいたしたまいて、ねがわくは有縁の要法をしめし、真の知識にあうことをえしめたまえと、丹誠を抽で祈給に、九十九日に満する夜の夢に、末代出離の要路念仏にはしかず、法然聖人いま苦海を度す、かの所に到て要津を問べきよし慥に示現あり。すなわち感涙をのごい、霊告に任て吉水の禅室にのぞみ

[親鸞聖人御因縁]

六角道の救世菩薩をたのみたてまつり、一七日参籠したりし示現にまかせて、御弟子にまいりたれども

[親鸞聖人御因縁秘伝鈔]

大師聖人のたまわく、(中略)そもそも当年なつのはじめ、善信房の来臨ありしは、これわたくしの意楽にあらず。六角堂の大士救世観音の御指南なり。かの御夢想のつげにまかせて、かつは弘法利生のため、殿下の御定にしたがいて、在家修行の法頭となりたまうべし。(中略)善信かさねてもうしたまわく、上宮救世の御利生によりて、聖人の御門徒に参ずる条は勿論

[しんらんき]

ぜんしんゆめさめかつはとおき給い、さまざまらいはいなされ、それよりもおぼしめすしさい有とて、くろだにさしてぞいそぎ給う。程なくくろだにになりしかば、ほうねん上人へ御たいめん有

[親鸞聖人由来]

六かくどうに参て(中略)七日こもり給いて、くわんおんのれいむをまたせ給う処に、まんする夜くわんをんははくれんげにのり、ろうそうと身をへんじ、はんえんにむかってのたまわく、これよりくろ谷にほうねん上人とてたっときねんぶつのひじりあり、かれへ参弟子となり、していともに念仏を日本こくへひろむべし、ぎょうじゃしゅくほうせつにょぼん、可上玉女心非品、一生志見能生ごん、りんじゅういん道正極楽と、此もんをとなえ、けすがとごくに失給う。

[絵伝撮要]

上人六角堂観音の御示現に依て、往生の安心を決定し給うことを云うに、上人二十九歳にして隠遯の御心にひかれ給いて、六角堂に参籠し、救世菩薩の御示現に任せて吉水に到り

[非正統伝]

渋谷家には六角堂百日参籠の内、建仁元年辛酉四月五日救世菩薩の霊告ありて、四句の偈文を授て源空上人の庵室に至て、要津をたづぬべきよし示したまう