【09】六角堂参籠と「女犯の夢告」(その2)

《2》六角堂参籠はいつ?

 親鸞の伝記として、まず第一に挙げられる「親鸞伝絵」には、いくつかの異本が存在します。
 六角堂で夢告を受けたのは、いつのことだったのか、この異本の中でも記述が分かれているため、議論があります。

 下に掲げた史料の中でも、
建仁元年……親鸞聖人正統伝、親鸞聖人正明伝
建仁3年……本願寺聖人親鸞伝絵、絵伝撮要
と、分かれています。
 特に「絵伝撮要」では、建仁元年説は誤りで、建仁3年が正しいのだと、理由をつけて、説明しています。
 対して高田派の『正統伝』『正明伝』では、六角堂への100日の参籠の最中に、安居院聖覚法印と出会い、3月14日、吉水に入門したことになっています。そして、まだ100日を満たしていなかったので参詣を続け、4月5日に夢告があったという説を採っています。

 そもそも、女犯の夢告は、吉水入室前の六角堂参籠時のことなのか、それとも法然門下の一員となった後に、再度六角堂に籠もった時なのかも、争われています。

 果たして、建仁元年なのか、建仁3年なのか。
 この論争について詳しくは、赤松俊秀『親鸞』(人物叢書、吉川弘文館)や、草野顕之『信の念仏者 親鸞』(吉川弘文館)に書かれています。これらでは、女犯の夢告は吉水入室の前に六角堂に参籠した時、建仁元年の出来事であろうという結論が出ています。

〔本願寺聖人親鸞伝絵〕(真宗聖教全書)

建仁三年(癸亥)四月五日の夜寅の時、上人夢想の告ましましき。かの記にいわく、六角堂の救世菩薩、顔容端厳の聖僧の形を示現して、白衲の袈裟を著服せしめ、広大の白蓮華に端坐して、善信に告命してのたまわく、行者宿報設女犯、我成玉女身被犯、一生之間能荘厳、臨終引導生極楽といえり。救世菩薩、善信にのたまわく、これはこれわが誓願なり。善信この誓願の旨趣を宣説して、一切群生にきかしむべしと云云。爾時善信夢の中にありながら、御堂の正面にして東方をみれば、峨峨たる岳山あり。その高山に数千万億の有情、群集せりとみゆ。そのとき告命のごとく、此文のこころを、かの山にあつまれる有情に対して、説きかしめ畢とおぼえて、夢さめ畢ぬと云云。

[絵伝撮要]

上人六角堂観音の御示現に依て、往生の安心を決定し給うことを云うに、上人二十九歳にして隠遯の御心にひかれ給いて、六角堂に参籠し、救世菩薩の御示現に任せて吉水に到り、三年を経て往生の安心を証得し、飽まで決定の信心に住し給うこと、偏に観音の御示誨ゆえぞと、且は恩礼報謝の為め、且は往生決定の喜ばしさに、又重て建仁三年癸亥四月五日六角堂へ参詣ありて、其夜そこに通夜し給うに、五更寅の一天に観音宝殿の扉を押し開き、聖僧端正の形を現し、白衲の袈裟を着し、広大の白蓮華に坐して、上人の枕の上りに来り、告て宣く、行者宿報設女犯我成玉女身被犯一生之間能荘厳臨終引導生極楽(已上四句偈)。汝たしかに聞け、此れは是れ我が誓願なり。我が誓願と云は、仏道修行の者もし真実の信あらば、必ず我れ生々に随身して、さまざまの形を現じ、其の行者の意楽に随て、仏道修業を増進せしめんと思う誓願なり。汝その本人となりて、能く我が誓願の意趣を会得して、其旨を一切の衆生に説き聴すべしとの御示現により、夢の中に堂の東面を見給うに、数万の衆生の中に、或は甲冑を帯せるもあり、或は手に刀仗を持もあり、僧俗男女貴賤貧富の者幾千万と云う員を知らず。上人此等の人に向て彼の偈文を説き聴せ給うに、諸人歓喜踊躍して、信受奉行すと見て夢覚給いぬと云云。之に就てたちかえって此の段を料簡するに、此の六角堂の御夢想の偈文を前の建仁元年百日参籠の時と云うは誤なり。此れはそれより後三年に当て上人三十一歳の御時の事なり。又此の御夢に就て、吉水の禅室に在しての夢想と云う一説あり。又は往生浄土の安心領解の喜ばしさ、又是れ偏に救世の御示現の故なりと、うれしさのあまり御参詣通夜し給う夜の夢と云う説あり。いぞれも其説くるしからず。然れども後の説よろしきに似たり。

[親鸞聖人正統伝]

二十九歳正月(中略)十日、山門の大乗院に隠れ、大誓願を発し、京都六角精舎如意輪観自在尊に一百日の懇念をつくし其日より毎日参籠したまう。(中略)
二十九歳三月十四日、既に空師の門下に入りたまえども、六角精舎へ百日の懇誓いまだ満ざれば、怠らず毎日参詣したまう。結願は四月下旬の初なり。爰に四月五日の夜、参籠の時五更に至て夢想の告命あり。
聖人御真筆愚禿親鸞夢想記曰
六角堂の救世菩薩、顔容端政の僧形を示現し、白衲の御袈裟を服着せしめ、広大の白蓮華に端座し、善信に告命して言く、
 行者宿報設女犯  我成玉女身被犯
 一生之間能荘厳  臨終引導生極楽
救世菩薩此文を誦して言く、此文は吾誓願なり、一切群生に説き聞かすべしと告命す、斯告命に因て、数千万の有情にこれを聞かしむと覚はて、夢悟めおわりぬ、已上記文

[親鸞聖人正明伝]

二十九歳、建仁元年辛酉正月十日辛酉のひ睿南の大乗院にかくれ大誓願を発し、京都六角の精舎如意輪観音に一百日の参籠あり。(中略)
建仁辛酉三月十四日、既に空師の門下に入たまえども、六角精舎へ百日の参籠いまだ満ざれば、怠なく毎日まいりたまう。殊に建久九年の春、功徳天女の告ありしも、いまだ不審はれざるを以なり。果して今年四月五日甲申の夜、五更に及で、霊夢を蒙たまいき。彼夢想の記文を拝するに、六角堂の救世菩薩顔容端厳の聖僧の貌を現じたまい、白衲の袈裟を著服せしめ、広大の白蓮華に端坐して、善信に告命して宣わく。
 行者宿報設女犯  我成玉女身被犯
 一生之間能荘厳  臨終引導生極楽
救世菩薩この文を誦して宣わく、是我誓願なり、善信この文の意を一切群生に説聞しむべしと云云。是時善信、告命の如に数千万の有情にこれを聞しむると覚て、夢さめおわりぬと云云。